機関誌マラソン第14号締切5/18正午です

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機関誌マラソン第14号

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機関誌 第14号を読んで、感想、気づき、自分の考え等共有くださいませ。

締切は5/18正午です

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  1. [盛和塾]14号 塾長講話第12回から
    『経営はトップの”哲学”=考え方で決まる.。
    だから、経営者には哲学が必要である』から。
    稲盛和夫さんの有名な言葉に
    人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
    というものがあり、よく引用されている。
    この3要素はどれも重要なのであるが、
    とりわけ「考え方」が重要とされる。
    考え方次第でこの方程式はプラスにもマイナスにもなるというのです。

    経営は経営者の哲学=考え方で決まると言っていいでしょう。
    よく経営者が
    「うちはリーダーが育たない。」
    「自立心がない。」
    「チームワークが悪い。」
    といったことをこぼしていることがあります。

    鏡の理(ことわり)という言葉がありますが、
    実は従業員は経営者の言動や心を写す鏡であり、
    経営者自身が部下を創り、その会社の組織風土を創っていると言えるでしょう。

    「組織は生き物」という言葉もあります。
    これは私が会社生活でよく経験したことなのですが、
    トップが変わると、メンバーが同じでもコロッと違った組織風土が出来上がってしまいます。

    それだけ、トップの持つ意味は大きいと申せましょう。
    それ故、トップは経営哲学を持たねばなりません。
    哲学というと難しいように聞こえるかもしれませんが、
    生き方・考え方と言ってもいいでしょう。
    人として正しい生き方・考え方を追求し続けることが大切です。
    ともすれば、人は安易な方向に流れたり、自分勝手な考え方に陥ってしまいます。
    そのため、日々反省も必要です。
    実はなかなかできなくて、ついつい惰性で生きてしまいがちですが、自分は今日一日、充実した人生を送ったか、人間として正しい行いをしたか?

    一隅を照らすという言葉がありますが、誰もが人生で大をなすわけではありません。
    しかし、一介の市井の人間でありながらも、世のため人のためになることを成就し、人生を全うしててゆけるのだと申せましょう。

  2. 塾長講話 <経営はトップの考え方で決まる。だから哲学が必要なのである。>

    今回はまさに稲盛哲学の真骨頂と言えるご講話です。

    企業は経営者の「器」で決まるという話は一般的によくされますが、経営者への「教訓」としてはやや言葉足らずに感じます。
    一方、塾長は「経営者の考え方が全て」だとおっしゃり、それは経済活動における経営者としての意思決定の「考え方」だけではなく、一般社会における人間としての普段日常の「考え方」こそが重要なのだと説かれています。

    経営者は自分には能力があり、頑張っているのにかかわらず、企業の業績が伸びない・悪いのは、外的環境や人的要因など自分以外のファクターに影響されたからだという言い訳をつい持ってしまいます。これに対し、塾長は「経営者自身以外の誰のせいでもない」と言い切られるのです。

    経営と言うのは、経営上の意思という上位概念だけで決まるのでもなく、普段日常の朝起きてから夜寝るまでの、経営者の日常における物言いや些細な行動にも「考え方」が染み出されており、こうした全ての「考え方」が周囲の人間や従業員にも見事に伝播し、社風や組織の雰囲気を形成し、商品・サービスにまで染みわたり、経営数値にまで表面化すると言う事です。

    誰だって、どの経営者でも、会社を良く、会社を大きくしたいと考えています。しかし、経営者が自らを戒め、反省すること。普段から善きことを思い、善きことを言い、善きことを行うこと。人として正しい事を、正しい方法で行うこと。利己・欲を抑え、利他を思うこと。親が子供に教えるような誰にでも理解できる倫理観を、経営やビジネスの意思決定にも当たり前に当てはめて行く。言われてみれば、簡単に思えるようなことでも、現代社会においてはなんと難しいことか。これがどういうわけか世の中では当たり前には出来ないから難しいのです。

    「人間として正しい判断」を常に安定的に出来るようにするために、「心の多重構造」を理解しておく必要があります。

    本能=もっとも利己的な判断。儲かるか、儲からないか。
    感覚=五感による判断。時と経験により判断が分かれ、不安定な判断基準。
    感情=単なる好き・嫌い。全く判断基準になりえない。
    理性=論理的にロジックを組み立てて判断するが、最終決断には至らない。
    魂=真・善・美という言葉に表される愛そのもののようなもの(利他の心)。

    結局は、本能・感覚・感情・理性のいずれでも、判断基準としては不安定。
    「本能」の対局にある、「利他の心」で物事の判断をするのが、最も安定して正しい意思決定を下すことのできる方法・手段なのである。

    これが「なぜ経営に哲学が必要か」ということの結論です。

    経営に迷いがある経営者、自信を持てない経営者、頑張っているが心に拠りどころが無い経営者、慢心する経営者、そして私にとって、この教えは非常に論理的に納得感があり、極めてシンプルで解りやすく、迷いや焦りやつまらない私欲を払拭してくれます。

    私がこの講話を初めて聴き、読んだときは衝撃が走り、その後いまに至るまで稲盛経営をもっと深く勉強したいと思わされたお言葉でした。

    何度読んでも、納得感があります。
    何度読んでも、私自身の心が未熟であることも感じてしまいます。

    以上。

  3. 機関誌「盛和塾」14号   【岸 克行】

    <塾長理念 仕事を好きになる>
    そういえば、長年親交のある人は全て仕事が好きな人ばかりです。
    以前にもうかがった“純粋性”にも通じると思っています。ともすれば、照れて口にもできないこともありますが、それがいけません。照れたり斜めに構えていると、知らず知らず心に埃が積もります。幸運が寄り付かなくなりますね。

    <塾長講和>
    まずはいい加減な考え方や曲がった根性を直さないといけない。誰でも油断すると本能にすぐに戻ってしまいます。塾長も「私が偉いとするならば、もとに戻るからです。」「ずっと真面目でいる方が奇跡なので、もとに戻すべく、反省ある日々を送る。」と。
    本能を完全に抑え込むことは不可能なので、もとに戻す。自分に向き合う時間、反省をする頻度をこまめに持っていくことが大切と思いました。

    <塾長対談 VS梅原猛>
    流石に一流の学者にして異端児といわれた梅原猛氏。塾長の切り出すフレーズをアカデミックな解説と背景をつけて返される対談は、テニスの名手のラリーかジャズセッションのようです。梅原氏が塾長に反応して返されたフレーズで、なるほどそういうことかと分かったことも多くありました。
    逆に言えば塾長との対談は梅原氏のような当代きっての知性といわれるような人でなければ、これほど面白くならないのでしょう。1冊の本にして欲しいぐらいです。

    <今ここに生きる塾長の一言Ⅰ>
    お二人とも食品、スーパーでも扱うコモディティ商品ともいえるメーカーの経営者です。この二十数年流通サイドからの価格引き下げ要請は強く、過酷な経営環境下であったと思います。それぞれ、奇策を弄することなく得意技を生かして塾長の示唆されるまま愚直に取り組んで業績を伸ばしてこられました。

    <経営の研究 堺屋太一氏>
    堺屋太一氏の本は、学生時代の愛読書。マーケティング会社へ就職を決めたのも氏の影響によるところが大きかったことを思い出します。
    石田梅岩自身は独創的な人であったが、その影響をうけた日本文化は細部にこだわりすぎた文化になっている。神は細部に宿るともいわれていますが、堺屋太一氏の石田心学や名家の家訓が生まれた背景から解説いただきました。第1級の知性を持ちながら官僚組織や後年、政権内部でも活動された堺屋太一氏の面目躍如たるレポートです。
    “稲盛和夫氏は独創的な人であったが、その塾生たちは、・・・・・。”と氏に突き付けられているような気がしませんか?
    私はします。

    <心の研究 龍村仁氏>
    前号に引き続き登場の龍村氏。塾長が資金面で支援されたということですが、そこはやはり塾長。資金提供だけのタニマチではなく、良いものは世の中に広まって当然、あなたの仕事はそこを考えることですとの前号どおり、販促策を塾長がチェックし何度も駄目だしをされていました。なんと羨ましい!
    塾長の龍村氏に対する愛を感じました。

    <今ここに生きる塾長の一言Ⅱ>
    足立塾生はお父様が徳をつんでこられた2代目です。先代の薫陶をうけた番頭さんが後継者を育てるという理想的な事業承継を見ることができました。先代も本当に偉大な人物であったことがうかがえます。巨人軍の監督の王長嶋の人物評があり、ふと20年前に通っていた祇園のお店を思い出しました。川上監督が京セラで講演した後は立ち寄るお店で、王さんもこられるが、長嶋さんは出禁だったことを思い出し、懐かしい気分になりました。

    藤尾塾生からは、塾長からきちんと学ぶのだという緊張感を持って聞かせていただくことの重要さを教えていただきました。

    以上

  4. 機関紙マラソン14
    株式会社サキカワ 久保貴啓

    ●塾長理念
    仕事を好きになる
    私も元々は、今のサキカワの仕事が好きで始めたわけでもなく、ただただ就職できれば何でも良かった始まりでした。でも、いつの間にか今の仕事に夢を持ち、この仕事以外ないと思えるくらい好きになりました。思い返すと、先輩や上司や仲間のおかげだったと思います。今の僕に営利や経営関係なく、純粋に従業員に伝え切れてないような気がして、早速、この仕事の大切さや面白みをもっと伝えるべきだと感じました。先日行った目的や意義も根本はここから始まらないといけないと改めて感じました。

    ●塾長講和
    経営者として哲学というものがいかに大事であるかを改めて学べました。が、塾長もおっしゃられるように、ずっと真面目でいることが奇跡であり、反省ある人生を毎日行うことで、いい加減な自分に戻ろうとするダメな自分を、またしっかりした考え方を学んだ自分に戻す作業をする。ということが大切。
    そのことでなるほどと安心もし、さらに頑張らないといけないと感じました。今の私にとっては、世話人として利他の心で、ソウルメイトの皆さんの側に居ること、触れることで自分への反省の第一歩になっておりますし、このマラソン自体も、しんどいと思うけど、塾長や皆さんの考え方や経験を読むことで、自己との見つめ直しにとても意義あるものになっています。
    まだまだ足らないところや個人的な感情で判断しがちな私ではありますが、従業員とともにしっかりと考え方を身につけたいと思います。

    ●塾長対談 梅原猛さん
    学がないので、独立自尊という言葉を初めて聞いたような…この件が面白く感じ、自分にも独立自尊って無いだろうなぁと反省もしましたし、我が社にもそういう空気やそういう人物がなかなかというのもあり、考えさせられました。もっと大きく見ると、このコロナの問題の中でも、政治家の言動や政策を見ていると、稲盛塾長は何とおっしゃるのか?と思って、テレビやネットを見ています。好き嫌いがあると思いますが、元市長の橋本さんであったり、大阪知事の吉村さんなどは、独立自尊と言えるのであろう…でも、出る杭は打たれる的な日本の風潮をどこかで、みんなが良く無いことと、良いものは良いと変えていかなければと見ていて、憤りや俺もその一人にならないようにしようとか思う今日この頃です。

    ●われ虚心に経営を語る
    小原繁塾生
    最終的なターゲットは何なのか?実現するために潜在意識に浸透するほどの強い願望を持て…
    僕自身も今は、持っていない。どうしたいのか?もふんわりしていて、今後どうしていきたいのか?と、もちろん持っているが、結構目先の目標なので、もっともっと先のものは無い、小原塾生のように、これから会社をどうしたい?とみんなで共有できるようにしていきたい。

    ●燃ゆる思い
    カワタキコーポレーション川端塾生のコメントの中で、長所は伸ばす、短所は有れば、長所は伸びない、だから、欠点は指摘します。
    当たり障りなく妥協してやるか、ボロクソに指摘して壊してしまうか?になるところを片方では論理的に指摘して押すが、後でしっかりフォローも入れる。針が落ちても気付くように…物と人の変化への対応が大事。
    私も同じような失敗や悩みがありました。従業員が15名ほどなので、代えが中々効かないため、一人に対する比重や責任が強くマンパワーで進むところが多々あるため、考え方や取り組みを間違えると全体に影響を及ぼします。私自身が経営者でもあり、一歯車として大きな部分を担っているのもあり、気に入らないから変えようとしても、自分では埋めれない部分も現実的にあり、しかし、ほっとくこともできず指摘すると摩擦や駆け引きが始まり、気持ちも落ち着かなくなります。今までは怒るだけの経営者であったので、上手くまとめれてないかんじも自分で情けないほど落ち込みもしましたが、この半年から一年くらいで、ソウルメイトや塾長の教えの中、上記のことが少しずつ出来てきたのでは?と自分で言えるようになってきたのも、盛和塾に出会えたからだと感謝しています。

  5. 機関誌「盛和塾」14号

    <塾長理念・仕事を好きになる>
    「実は、私も辞めたいと思うことがあります。もう、しんどいのです」
    想像もつかないような重責から、当然しんどいと思われることも多々あったでしょうが、実際に塾長からこのような台詞を聞くと、不謹慎ですが少しホッとしている私がいます。
    「仕事が忙しくて、立場に責任を感じているから、しんどいのですが、苦しんでいる中にも、自分の生きがいを感じているのです。やはり仕事が好きなのです」
    全くレベルは違いますが、やはり仕事に生きがいを感じるということは非常に共感できます。毎日しんどい気持ちの方が強いかもしれませんが。
    「自分の仕事にほれなければ、絶対に成功しません。素晴らしい仕事などできるわけがないのです」
    まだまだ不十分で反省ばかりですが、素晴らしい仕事はしたいと思っています。

    <塾長講話・経営はトップの哲学=考え方で決まる>
    「経営というものは、トップの人の意思、その人の考え方、経営者がどういうふうにしたいのかという意思できまるのです」
    経営者の想いの強さ。塾長が松下幸之助さんの「ダム式経営」の話を聞いて、まず「思う」ということか、と気づかれた「思い」の大切さ。もっともっと強烈に思い続けないといけません。
    「会社だけ大きくして税金を納めるのは嫌だというのは矛盾。税金を払いたくない人が、会社を大きくできるわけがない」
    仕事柄、節税というのは確かに大切です。払う必要のない税金は1円たりとも余分に払う必要はありません。ただ、税金を払いたくないがために不要不急のものを購入したり、不相当に多額な決算賞与を支払うなどして会社の留保金を減らし、結果として自己資本が薄く、非常時に脆い財務体質から脱却できない会社が多いのも事実です。経営者はどうしても当期の通知表であるP/Lに目が行きがちですが、何と言っても会社の創業時からの経営の結果であるB/Sの大切さをことあるごとに伝えていきたいとあらためて思いました。
    「私はたった1回しかないこの人生を、素晴らしく悔いのない人生を生きてみたいと思っているだけ」
    「意思というのは、何が起ころうと、どんなことが起ころうと不変のものを言う」
    「阪神大震災のような大災難を被ろうと、それを天が与えた試練だと受け止め、はね返そうという強い意志を働かせてさらに伸びていく方も必ずいる」
    まさに、今この時に受け止めるべき言葉だと思います。先と重なりますが「思い」の強さが全ての気がします。
    「なぜ経営者にとって考え方=哲学が大切かというと、経営者は常に判断、決断を要求されているから」
    「私は、そのような素晴らしい心、本能の対極にある利他の心を判断基準にしましょうと言っているわけで、それがなぜ経営に哲学が必要かということの結論なのです」
    「自分を戒めるため、自戒のために哲学が必要。逸脱しても、戻ればいいのです」
    「景気がどう悪かろうと、環境がいかに厳しかろうと、フィロソフィーを作って、それでもって経営されることを実行されるなら、会社はどんどん伸びていくと思います」
    経営に必要な判断基準を、本能や感覚、感情、理性などの、利己的なもの、あやふやなものに拠ってはならない。自分の本質である「魂」に拠りなさいということだと思います。それは、自身の本質、素晴らしい真・善・美に満ちたものであるから。
    ただ、それを実行するのは非常に難しい。塾長ですら完璧に実践できているわけではないとのこと。ただ毎日反省し、戻るべき指針としてフィロソフィーが必要なのであるということだと理解しました。
    人間性を高める努力をし続け、考え方を立派なものにし、それを実行していく。自分で定めたフィロソフィーをいつも思い返して、実行していき、素晴らしい会社にすること。これしかありません。

    <塾長対談・原・資本主義のすすめ>
    福沢諭吉「実業社会の大物になるべき人とは、第1に哲学者が持つような深遠なる思想がなければならない。第2に新根は美しく純粋で気高くなければいけない。第3に気の利いた悪賢いほどの才覚。第4に頑健さと粘りの意志。この4つをもたなければいけない」
    「政治家でも実業家でも、今活躍している人の多くは1、2抜きの人。哲学と純粋な心の2つが抜けている」
    「独立自尊の人間、それは哲学と誇りを持っている人間。その哲学とは自分の生き方を原理的に反省できること。誇りとは、嘘をついたり、むやみに物を欲しがってはならないということ。」
    「独立自尊の人間を取り戻すことが、これからの日本人のありかたである」
    哲学と純粋な心。機関誌14号を通じてこの大切さを言われているのだと思いました。

    「共生と競争というのは、言葉のうえからは対立するような概念に捉えられるかもしれないが、大きな意味では共生という言葉のなかに競争という概念は含まれている」
    「共生していくためには、その中に凄まじい生存競争というものが存在しなければならない。競争を否定したなあなあ主義が共生ではない」
    「まあまあの小善はほんとうの共生ではない。共生とは社会をより素晴らしいものへと導く大善、大きな愛のことである」
    「一見無慈悲にさえ見える過酷な生存競争を受け入れ共生するのでなければ、それは見せかけだけの共生ということになる」
    ただ、哲学、真・善・美、利他といった優しい言葉の裏には、並々ならぬ過酷な生存競争があるということ。優しさと厳しさ。一見非情と思えるようなことも時として必要であるということは決して忘れてはならないということだと思います。まずはがむしゃらに頑張り、反省を繰り返すということでしょうか。

    <あの日あの時稲盛和夫氏>
    「塾長のお話を聞くときには、相当な気持ちで、冷たい水の三杯くらいは被って身を清めしっかりと聞く姿勢が必要」
    「その時に電光石火のごとくパッと火花が散って自分に点火するぐらいの気持ちで聞いていかないともったいない」
    今さらながらですが、反省すべきところはいっぱいです。ただ書物やDVDで勉強するとしても、こういう気持ち、緊張感をもって学んでいかなければならないと強く思いました。
    ありがとうございました。

  6. 第14回マラソン 宮畑和広

    塾長理念

    よく継続は力、と言われます。まわりから無理だと思われても本人が日々反省しながら続けて積み重ねて行くうちにやがて目標を達成する。定期貯金と似てますが違う点は日々、反省をする事により何よりも自分が成長出来る。しかしこの場合、続ける為にはその仕事が好きでなければなかなか続かない。その為に私は社員達に自分の仕事がどのように社会に役立っているのか、その仕事の中に有るひと時の楽しみを思い起こし、この仕事を好きになる、それとこの先お客の期待を裏切らない為にはいかに考え、努力をし続けなければならないのかを社員達に言い続けます。

    塾長講話

    いつもはあまり理解できない「心の多重構造」が今回はなぜかよく腑に落ちました。

    塾長対談

    19ページの終わり方、「どうすれば人には見えない先まで見えるのか」その質問に塾長も考えた末、「いったん自分の事業を離れてしまうと、視野が何倍にも広がる。」と気がついた、と有ります。なにか仏教的でこれも大変、興味を感じました。私も物事がうまく行かないと感じた時はこのような方法で何度も考えを巡らせたらいいなぁ、そうすればもっとイライラせず楽しく物事を運べるかもしれないと感じました。さっそくその思考、実行します。
    以上、今回も勉強になりました。有難うございました。

  7. 自分の仕事が好きか
    と言われると嫌いと答える自分がいる。前職を辞めて迷惑をかけておきながらこんなことを言うのは甚だ失礼だが、未だにやりがいを感じていないのが現状である。しかしこれでは従業員に見せる姿がない。哲学を学び、実践し会社が変わる様を感じれるようなレベルに高めたい。
    トップの考え方で集団の行動が左右される、どういうふうにしたいのか。従業員に感じてもらう場作りが大切であり、従業員に対して話をして伝えなければならないと感じた。
    私の中に今後の会社のビジョンが固まっておらず、稲森経営哲学を学ぶもののまだまだ従業員に伝えるほどのレベルでもない。おそらく従業員からすれば何を企んでいるのだろうかぐらいにしか思われていないであろう。勉強勉強の日々である。
    この学びが私の心、魂を高め今後もくるであろう困難に立ち向かう勇気をくれるに違いないと確信します。
    我虚心に経営をかたる
    両塾生に共通していえたのは、「日本一になる」という大きな目標、そしてそこに行き着くための具体的な行動計画が建てられており、たった一つの目標に向かっての道に沿って経営をされた結果見事に会社を大きくされていた。まさに得意技を磨いた結果であるように思う。トップの考え方も非常に大切であるとも思った。こうありたい!こうなりたい!
    という強い気持ちがあるからこそ従業員に伝わり公明正大な目標を達成する内容は
    私の会社でも私だけが目標を抱くのでななく、社長である父と共通した目標を持ち行動しなければならないと痛感しました。
    後半の心に関する記述の中で、ダライ・ラマの発言に「人間の本性は慈悲と利他の心である」人間は初めからその本性を得ているのではなく、動物の中で唯一選び取る事ができるという。経営者はその心を高め、利他心を勝ち得なければならない。従業員とその家族のため
    経営者自身も仏のような慈悲深い愛を持って従業員と接し、その従業員にも利他心を選びとるようにしなければならない。

  8. 盛和塾14号 ワキ製薬㈱ 脇本

    今号の塾長理念は、経営者だけでなく世の中全ての社会人に伝えるべきメッセージだと思います。仕事を好きになるということの大切さが書いてあるからです。意外だったのは、塾長自身が、私も辞めたい、もう、しんどいということをおっしゃっていることでした。私が知る塾長はどんな場面でも、そういう弱気な発言をされるかたではないので、この部分を拝読し、塾長も昔そんな風に感じておられたんだなと少し近い存在に感じました。「会社を辞めたい」という思いは、誰もが一度は経験することです。もちろん世の中の経営者の方々も皆さん、全てを投げ出してでも社長を辞めたいと思ったことがあるのではないでしょうか?正直なところ、私は何度かあります。しかし、塾長が今号でおっしゃるように、辞めたからといって天国のような生活になるか、というと、三日もすると、仕事が無いことに苦痛を感じるようになると思います。
    塾長は、「仕事が忙しくて立場に責任を感じているからしんどいのだ。」とおっしゃっています。この部分を読み、確かにそうだな、と納得するしかありませんでした。
    過去に、何人も社員が辞めています。そのたびに話を聞くと、しんどい、疲れた、もう無理です、そういった話をこぼす人もいました。しかし、それは塾長がおっしゃるように、その人なりに仕事に対しての責任感をお持ちで、そのプレッシャーに、苦しんだ結果だったのだと今はじめて気づきました。これを知っていると知らないのでは、経営者にとって非常に大きな差が生まれるだろうな、と感じました。これまで、機関紙を読み、この14号の、この部分になぜか一番、確かにそうだな、と納得してしまい、自分の手帳の一番最初のページに大きく、この言葉を書きました。それほど、今号のこの言葉には、何か雷に打たれたような衝撃がある言葉でした。
    仕事をするときに、その仕事を好きになれるかどうか。この“好き”という感情こそが最も仕事をする上で欠かせないことであると今回、改めて学びました。成功したいわけでも、お金持ちになりたいわけでもありませんが、この仕事がすきか?と聞かれたら、私は迷わず「好き!」と答えられます。私だけが自社の仕事を好きになるのではなく、社員全員に、そして弊社に関わる全ての人に、ワキ製薬と仕事をすることは楽しくて好きだ!と言ってもらえることこそが大切なのだなと感じました。そうなることで、自然と世の中からも認められ、素晴らしい仕事を継続して出来るのだと思いました。

    次に、塾長講話の内容について。今回は、経営がどこで決まるか、というお話でした。これは常々、塾長が口酸っぱくおっしゃってこられた、トップの“哲学=考え方”で決まる、というお話です。トップの器以上に会社の規模は成長しないと何度も教えていただきました。KDDI創業の想い、その当時の国民のことを真剣に考えての行動、本当に塾長がおっしゃるように、リーダーが道しるべとなり、強く帆を漕ぐことで、その思いに前進していくのだという、まさしく実践例だと思います。私心が本当に無いかどうか?それを何度も自問自答され、自分自身の心の動機は完全なる善のみであり、私心がないと言うことを確信できた時に、悩む心はスッと消えた、と仰っています。どうすればそのような境地にたどり着けるのか?私もたびたび悩みますが、これまでに悩んだ心がスッと消えたことは過去に一度もありません。自分の考えを哲学と塾長はおっしゃっていますが、哲学と言えるほどの深い思考なのか?といつも疑問に思ってしまい、塾長のように、スッと心から消えることなどありませんでした。それはまだまだ自分の経験と考えの甘さがどこかにあるからなのだと、改めて反省させられた今回の塾長講話でした。経営というのは、トップの意思、考え方で決まるのです。また、今回は税金についての話もありました。これは、私が経営者になった日から、塾長の教えを徹底している1つに当てはまります。節税をする会社は強くならない、お金が残らない、大きくならない、そういったことを何度もおっしゃっていました。私は、経営者になった当時にはその意味が分からず、節税なんかはしたらダメなんだな、程度で、赤字だったことも有り、それほど気にも留めておりませんでした。しかし、業績が回復し、事業が大きくなるにつれて、税金の額も上がり、それでも毎年節税をせずに、塾長の教えを徹底しています。すると、塾長がおっしゃっていた意味が分かりました。税金を払いたくない人が、会社を大きくできるわけがない、と言い切っておられる部分に、しっかり税金を納めなさい、さすれば企業として社会への貢献度が高まり、自然と会社の評判も良くなり人も集まる、そういったことおっしゃっているのではないかと感じました。

    また、経営者としての判断のものさしについても、最終的な判断基準は「人として何が正しいのか」ということをおっしゃっています。経営者として、物事を判断する時に、最初の判断基準が「儲かるか、儲からないか」という本能になりがちで、利己的な判断そする経営者が多いとおっしゃっています。これを自分に当てはめたとき、確かにそうだな、と反省する部分がありました。次に「感覚」による判断。こういった心での判断は、常に一定ではなく、瞬時に好きから嫌いへ変わることもあり、間違った選択をする可能性が高いということは非常に大切なことだと思います。やはり、感情的になり、強引に物事を進めてしまう部分もあるので、塾長がおっしゃるように、理想的な判断である「理性」そして「心」で判断ができる経営者を目指さないといけないと思いました。そのためには、常々、「なぜ経営に哲学が必要か」ということについて、何度も自問自答を繰り返すことこそが、そういった感情的な判断に至らない秘訣であるなと学びました。
    いつも、機関紙を拝読しながら、経営とは心が締める部分が多いなぁ・・・と本当に痛感させられます。週に一度、塾長の言葉に触れることで、常々、刺激を頂き、自省され、1歩ずつですが成長しているなと感じます。そういった喜びを幸せに想い、最後まで完走したときには、今よりも一段高い視野で周りを見る力を養えたらなと思います。

  9. 機関誌マラソン

    第14巻 平成7年
    塾長講和 
    稲盛塾長の真骨頂ともいえる税金の考え方を通して、経営とはなにか、人生とは何かを説き、教えてくれる貴重な言葉の数々。
    何度読んでも素晴らしいと思えます。税金のことをここまで落とし込み、教えてくれる方は他におられないと思っていますし、初めて聞いたときは衝撃でした。すぐには受け入れられませんでしたが、会社の規模・器を大きくし、従業員や社会に貢献するためにはこの道しかないのだと気づきました。

    あの日あの時稲盛和夫氏
    藤尾塾生の一つ一つの言葉からは、稲盛塾長の影響力の大きさ、考え方の浸透、会社を良くしていこうとする人のつながり、総じて偉大さが伝わってきます。松下幸之助さんから影響を受けた稲盛塾長、そしてそれを良い話だとだけ思わずに、実践し、やりとげ、そしてまた私たち塾生に経験も踏まえて伝えてくれることで、その影響の輪は大きくなって伝わってきます。私も同じように感じますし、これをもっと増幅して伝えきれるように自分自身も実践をもっともっとしていきます。そして伝え続けます。
    感謝です。

  10. 機関誌駅伝「盛和塾14号」2020.5.18締切
    (塾長講話)
    塾長講話の「経営はトップの哲学=考え方で決まる」は、正に私が盛和塾に入塾させていただいた最も強い動機の一つ、「経営者として失敗しない正しい判断基準を持ちたい」という思いに対する答えです。
     塾長も京セラを設立された当初この問題で悩まれていたごとく私も29歳で独立してから常にこの答えを探していたように思います。
    しかも塾長が講話の中で仰っているように、部下がさまざまに情報を集め検討した結果、最終決断を社長である私に求めてくるわけです。
    その段階で情報不足や検討不足であれば、さらにそれを指摘して後日その不足を埋めて再度提案させるわけですが、それでもそこに答えはありません。
    最後に決断を下すのはトップである私です。
    そして今までその決断は出来ればその時か、将来に社員が「さすが社長の決断だ」、もしくは「決断だった」と思ってくれて、いつも一緒に計画の実現に努力をしてくれるものであるべきだと思って参りました。
     しかし、その決断に自信が持てなかったのです。
     おかげさまで盛和塾で学ばせていただいてから、全て良い結果に結びついたかどうかは分かりませんが経営判断そのものに迷う事は大いに少なくなりました。
     むしろその判断が思い通りにいかなかったとしても、「人として間違っていなかった」と思えますし、その責任は私にあることに対して、言い訳をしたいと思う様なことは無くなりました。
     数年前のNHKのインタビューに稲盛塾長がお答えになってこられたコメントが常に私の頭の中にあります。
    確か不正会計に関する質問だったと思いますが、女性アナウンサーが塾長に「稲盛さんは常に公明正大な判断をすると仰っておられますが、明日会社が潰れるとしたらその様な誘惑(粉飾決算の様な不正会計)に駆られませんか? 」とズバリ質問されていました。
    女性はやはり本質的なところをあの稲盛さんにズバッと聞くなあ?と変に感心したのですが、塾長は「ニコニコしながら「そういうのは信念とは言いません。その時は潰れたらいいのです。」とサラリと仰ったのです。
    私は痺れました。
    ニコニコしながら経営者としては最も恐ろしいことでも信念に照らして簡潔にサラリと答えられる塾長の強さ、懐の大きさ、凄味を感じたのです。
    同時に自社を振り返って、「そうだ、私もそうしたらいいんや」と思いかけたのですが、会社とは従業員も取引先も私の家族もいるわけですから「そうですか、ほな潰すなり何なり今の現状のまま 煮るなり焼くなりどうとでもしてくれ」と簡単にいうわけにもいきません。
     そんな怖いことは簡単に割り切れませんから、そんなことにならない様に日頃からダム経営をして土俵の真ん中で相撲を取らなければいけないと強く思いました。
     未だ道半ばではありますが、コロナ危機に際してもこのことの大事さを実感しております。
     正しい判断を行うことが出来る様に、信念が寝言にならない様に会社の体力を十分に蓄え、厳しくとも正しい判断に耐えうる様にすることの大切さをもう一度考えたいと思います。

     それから「人の心の多重構造」では真・善・美という本能や感情ではなく、本来人の魂に備わっている大事なものを使って判断することが大事ですが、先ずはこの存在を知り、信じ、日々そこにアクセスできる様に余分な欲からくる雑念を払わないといけませんね。
     これが本能に邪魔されて難しいから、大事な判断は本能から離れてダイレクトに魂にアクセスできる様に心を高める(我欲を踏みつけ押さえつける)方法を塾長は手を替え品を替えて教えてくださっているのだと思います。
     いい加減な考えで会社を大きくしたいと願ってもそうはならないから、本当に会社を大きく良く出来る様にまずは経営者の心のレベルアップが不可欠ということでしょう。
     社員も先ほどの計画立案の作業や日々の仕事についても意見があると思います。
    理性では判断出来ない問題に私が迷った様に、彼らも迷っていると思います。
    彼らのモチベーションを最高に発揮してもらうためには、どうしても私の判断に共感したり信頼してついて来てもらわなければなりませんので、私の高まった心で経営判断をすることで共感ら信頼は勝ち得ることが出来ると思います。
    そうなれば経営はとても心強く楽しいものになると思いました。
    私自身、本当に甘っちょろい人間ですから何度も起き上がって反省していこうと思います。
    「心を高める」、「動機善なりや私心なかりしか」ということを実践していくならば「景気がどう悪かろうと環境がどう厳しかろうと会社がどんどん伸びていく」と塾長の心強いお言葉をいただいています。
    盛経塾大和は私にとって反省すべき点を教えて心を高める修行の場となっています。

    (塾長対談)
    この対談で最も面白いなと思いますこの経費最小で稼ぐことを非常に大事にされている特徴がその利益をいかに存在するかということをついて語られていることが実は経済対策になるということです。
    今の日本経済は需要が不足していますですので、いくら日銀があれだけ巨額なお金を何年も市場に供給して金融緩和行ったところでインフレ目標の2%を達成することが出来ていませんし、構造改革やグローバル化は競争を効率的に行いやすい環境づくりとなりデフレを益々促進します。
    安い製品を大量に作れたり販売出来たりする強い企業や中国のような国が安価な製品を持ち込みますと、製品の市場価格は下がりでデフレ圧力になるわけです。
    企業が稼いだ利益を何に投資するか、その目的は様々であるにせよ需要を生みます。
    その使い方が世のため人のためになる、つまり塾長でしたらKDDIの様に未来の人類の発展に資する投資になりますでしょうから経済は発展すると思いました。
    私は政府の公共投資、企業の設備投資や技術に対する投資、国や企業や家庭が一体となって行うかつての日本の様な人材投資が必要で、これらは全て需要を埋めて生産性をあげることに役立つと思います。
    この視点で需要と投資を勘上げてみますと、塾長は社会が自分たちの儲けを優先するという発想になってしまって稼いだものをまた利己のために投資してしまっているので、社会全体を構成する人々が社会全体や未来を見て投資しなくなったので社会の発展が上手くいかなくなったという意味のことを言われているのだと思います。
    一言で言いますと他人への愛が減ったのだと思います。
    社会全体のモラル、社会貢献意識と利潤の追求のバランスが大事なのでしょうが、この考え方は並立というより順番なのかなと思いました。
    まずはしっかり稼いでそれをどう何に使うか、国も企業も家庭の未来もこの使い方次第で、ひいては何に使うかという判断基準となる考え方、思想次第でもあると思います。
    日本のバブル期の様に私欲が剥き出しになって我も我も乗り遅れまいと儲けを追求することに汲々としたので資本主義が上手くいかなくなったし、その対策もしっかりした倫理観に基づいてではなくまた儲かる様にしようという発想での対策ですから失敗しました。
    国家や企業、個人が倫理観に基づいてお金を使う(未来への投資)ことで、国の生産性が上がり競争力が増して国民が豊かになります。
    この様な考え方次第で今の社会が過去に決められた、そして今何にお金を使うかで未来の社会が決まるということなのでしょうから、やはり考え方を塾長のおっしゃる様に変えていかなければならないと思いました。
    私が社会に就職した1992年の前にバブルは崩壊しており、それから約30年日本経済は一切成長していません。
    そんな厳しい時代に育った私なのに、いま反省すべきはもっとシビアな厳しい経営が出来たチャンスだったのに、全てではありませんが稼いでは無駄なお金を浪費したということです。
    夢や理想はありましたが信念と呼ぶには弱く甘いものだっと思います。

    そして梅原先生との対話の中で話がまとまって、福沢諭吉の深遠なる哲学を持って、元禄武士の様な心術の高さの欠如を原点に帰って取り戻すという道が明確にされました。
    そして利潤追求は手段であり、利他行が目的であるということですが、これをテレコにしない様に気をつけなければいけない、毎日ことある毎にチェックしていきたいと思いました。
    それから先の生産性を高めるお話につながりますが、日本の停滞は思想の欠如の問題、未来につながる投資の不足ということもありますが、梅原先生の「独立自尊の日本人」の話です。
    これは時折、私も盛和塾、盛経塾で日本人の従業員の生産性の低さについてお話しますが、中には私の経営者の言い訳の様に聞こえている方が多いかも知れません。
    我々経営者が塾長に学び心を高めても中途半端な状態がありますので、そこを従業員に突かれてしまえば一貫性のない理念の様に思われてしまいますが、従業員にも厳しく考え方の向上、能力の向上、生産性の向上を要求しなければならないということです。
    その要求部分はどうしても稲盛哲学を前にすると全て経営者の自己責任と捉えてしまって弱くなりますので、従業員にも強く真剣に要求するべきで、手段にする訳ではありませんが先に塾長の物真似からでいいので「従業員の物心両面の幸福の追求」を入れてしまい、それを縦にして大家族主義と実力主義のバランスを取る様にして中途半端な自分時代を乗り越える時間を作る必要がある。
    それを私では上手く話が出来ずにおったのですが、ここで梅原先生のお言葉を借ります。
    「集団に埋没していて集団を離れると何も出来ない人」が皆さんの会社でも多数派ではないでしょうか?
    その際たるものは交渉力を見れば明らかだと思います。
    哲学や誇り、議論する力が必要ですし、なあなあで妥協することは許されません。
    当社では「交渉のできる人間」を標榜して人材育成に取り組んでいますがかなり難しい。
    海外と仕事をしますと、独立自尊の人が多いことに驚きます。
    1人で1〜10の完結まで仕事ができる人が多いし、自分の仕事に強い意志と誇りを持っておられますから、梅原先生がおっしゃる通り普通の日本人スタッフは交渉できません。
    我々が独立自尊であることはもちろんですが、それを従業員に求めるのはとても厳しい話になるし、本人たちも大変な努力が必要です。
    その動機を与えてあげるためにも「従業員の物心両面の幸福の追求」を掲げていくことが大事なのではないかと思いました。
    自分のエゴである「小我の目」で見ずにそれを離れた「大我の目」で行動すると周りから「危険な賭け」をしている様に見えるとは私にも小さいながら同じ様なことを言われた経験があって「なるほどなあ」と思いました。
    また、独創性と学問というお話でも神がかりでなければ独創的ではないというお話や、競争と共生の中にも「なあなあ主義」が共生ではないという話はその通りだと感動する面もありつつ、なんだかワクワクします。
    「理路整然と理屈をこねるだけで少しもクリエイティブじゃない人間がのさばっている」なんていう塾長のお言葉はとても痛快でもあります。
    この対談で出てくる大事な価値観を世の中に広めていける自分であり、経営者であり当社であったらとても素敵だと思いました。
    それだけで大きな利他行になりますね。
    それが出来るようになるためにまずは利潤を追求します。

    今回もとっても多くの気づきや学びをいただきました。
    ありがとうございました。

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